偽我さん、今日もありがとう。
自分の心を見つめてみたら、今、自分だと思っているこの心は、「偽我」だろう。
「偽我」という蜃気楼のようなものを握りしめて「自分だ」と思ってきたのだから、滑稽である。
しかし、この「偽我」は、この肉体を守るための「愛」なのである。
「偽我」にも役割がある。
「悪」や、「カルマ」だと言って、いじめてはいけない。
「偽我」は、この恐怖ベースの3次元お化け屋敷テーマパークで、80年位遊ぶための、肉体維持システムであり、愛から出来ている。
「偽我」を責めてはいけない。
「偽我」は心配性の母親みたいなものだ。
「肉体」に対して過保護なのだ。
ラマナ・マハリシは晩年自らが病になったとき、周りが心配するのを見て、彼らに「肉体を重要視しすぎだ」といった。
「偽我」もそうだ。
「偽我」さん、私の仮の宿である肉体を保全してくれてありがとう。
でも、もうそんなに過剰防衛しなくてもいいよ。
なぜなら、敵はいないし、「悪」な病もないから。
もし、肉体を傷つけるものが来たときは、それは肉体を使用した”気づきの”メッセージなのだろうから。